Masuk“ピンポーン”彼の部屋のインターホンを鳴らし、ドアの前に立つ。すると彼がドアを開けて顔を出した。「フッ。ちゃんと着替えてきたな。よし。それでいい」一弥さんは、満足そうに笑う。よかった。これなら一弥さん大丈夫だった。まぁさすがにあんな格好して、ここには来れないわよね……。「おじゃまします」何気に初めて入る彼の部屋に、私は少し緊張しながら脚を踏み入れる。中に入ると、彼のセンスが伺えるシンプルでクールなオシャレな部屋だった。彼が一人で住むとこんな感じなんだ……。元々一緒に住んでいた家と、なんだか雰囲気も違う。今思えば、あの家は執事さんもいたから、それなりのお屋敷ではあったし。一弥さん、もうあの家は帰ってないのかな。多分なんとなく、一弥さんはあの家以上にすごい家の人のような気もする……。そんな一弥さんがこんなマンションだなんて物足りなくないのかな。間取りもほぼ私と同じだし。私にとっては贅沢すぎるほど広い部屋だけど、一弥さんは本当は一体どんなところに住んできて、どんな人生を歩んで来たんだろう……。政略結婚でもあり、気持ちを分かり合えない私たちだったから、お互いの過去の話も一切することもなかった。彼が本当はどんな格式高い人なのか、そして私が綾乃と義理の姉妹になった経緯も、お互い何も話してないもんな……。そんなことを考えると、私と一弥さんはまだまだ分かり合えてない何もお互いのことを知らない関係のように思えた。そんなことを思いながらリビングへと進んで行くと。「杏華ちゃん。待ってたよー!」「いらっしゃい杏華ちゃん!」早速紗耶香さんや詠司さんが声をかけてくれる。すると、トコトコと目の前にやって来た人物に気づく。「きょうかちゃん。はじめまして」そこには少し小さくて可愛い男の子が私を見上げて挨拶をしてくれる。私はその男の子に気づいて、その場でしゃがみこみ、目線を合わす。「こんばんは。はじめまして」「ぼく。たいきっていうの。よろしくね」可愛い男の子が自己紹介してくれた。「それ。うちの息子の。大輝(たいき)」詠司さんが私に教えてくれる。「わ~息子さんなんですね!」「そう。今五歳なの」続けて紗耶香さんも年齢を教えてくれる。「可愛い~」その可愛さに私は思わず目を細めながらその可愛さに微笑む。「きょうかちゃんもかわいいよ
「今日引っ越してきたばかりだから、うちの家まだ片付いてなくてさ。ちゃんと綺麗に片付いたら是非うちにも遊びに来てほしいんだけど、とりあえず先に一弥くんと杏華ちゃんにどうしても会いたくて、一弥くんのとこに家族で押しかけてきちゃったの!」「フフッ。そうなんですね」「杏華ちゃん、もうご飯は食べた?」「あっ、まだです」「良ければこれから一弥くんの家で、私たちの引っ越し祝い一緒にしてくれないかな?」「はい! もちろんです!」わー! 嬉しい! みんなで一緒に引っ越し祝いのご飯だなんて!「あっ、詠司も出てきた。詠司~杏華ちゃん元気そうだよ~」詠司さんにドアの向こうで声をかける紗耶香さん。「おい! 詠司はこっちに来なくていいって言ってるだろ! さっきせっかく家の中に入れたのに、なんでお前はまた出てきたんだ!」すると、さっきいつの間にか紗耶香さんの後ろに戻ってきて、私たちを優しく見守ってくれていた一弥さんが、急に自分の部屋の方に戻りながら、大声で叫ぶ。「え~! だって杏華ちゃんに俺も会いたいじゃ~ん」「あとで連れて行くって行ってるだろ!」「え~俺も感動の再会したいんだけど~」一弥さんとのそんな声が聞こえて、思わず仲のいい二人のやり取りに笑ってしまう。「杏華ちゃん! 久しぶり!」「あっ、詠司さん! お久しぶりです!」詠司さんが、紗耶香さんの後ろからひょこっと顔を出す。「おい! お前は杏華を見るんじゃない! 今すぐ部屋に戻れ!」すると、なぜか一弥さんが必死で詠司さんを引きはがすように大声で叫びながら連れて行く。「ちょっ、おい! 一弥! お前、わかりすぎだろ~! 痛い痛い! わかったって! 部屋戻るから!」まだ遠くの方で、激しいやり取りが聞こえて、少し心配になる。「えっ、あの大丈夫でしょうか、詠司さん……」
「じゃあ、もし良ければ俺の部屋に来てくれないか──」こんな状況じゃなく、もしこの言葉を彼から聞けていたら、どんなに嬉しかっただろう……。だけど、きっと今は、ドラマで観たような二人で彼の部屋で過ごす甘い雰囲気、みたいなことは、きっとないんだろうな……。「うん。わかった……」「ちなみに、俺の部屋に来る前に、その今着ている……。あっ! おい! 今はこっち来なくていい!」一弥さんが何か言いかけたとき、一弥さんが途中で叫びながら自分の部屋の方へと言葉を発している。ん? どうしてそんなに一弥さん焦っているの?すると、一弥さんの後ろの方で、一瞬女性のような影が見える。え……。嘘……。やっぱり……。私の心臓は今までにないほどドクドクと脈を打つ。どうしよう、どうしよう。ホントにそんな女性がいちゃうんだ……。私は、その真実を見るのが怖くて、思わず目をギュッと瞑る。すると──。「杏華ちゃん!」頭上から、どこか懐かしい聞き覚えのある明るい高い声が聞こえた──。顔を上げると、一弥さんの代わりに、紗耶香さんが明るい笑顔で立っていた。「え! 嘘! 紗耶香さん!?」「そう! ようやく会えた~!」紗耶香さんは嬉しそうに私に勢いよくハグしてきた。私はそんな紗耶香さんを同じようにギュッとハグし返す。うわ~! まさか紗耶香さんだっただなんて!嬉しい! また会えた!「杏華ちゃん。元気そうね」ハグをしていた腕を緩め、私の両腕を優しく掴みながら、私の顔をしっかり見つめる紗耶香さん。「はい──! 紗耶香さんは、どうしてここに!?」「前に言ってたでしょ? このマンションに引っ越してくるって」「え! あれホントだったんですね」「もちろんよ~。ようやく向こうで全部
そのあと、私は気持ちをなんとか切り替えるため、楽な部屋着に着替え、隣の音がこれ以上耳に入ってこないように、前から気になっていた配信の恋愛ドラマの動画を見始めた。それは『元夫婦が何度も衝突しながらもその絆を強くして、また新たな恋愛を始める』という、まさに今の自分にピッタリの内容だった。これを見たら私も一弥さんとの向き合い方や接し方のヒントが見つかるかもしれない。なんて、そんな安易な考えで観てみたのはいいけれど。実際観始めたら、恋愛の難しさをまた知ってしまうと同時に、どんどんと素敵な関係になっていく二人に、私は羨ましさを感じながら、実際では味わえないそのキュンキュンをこの動画で注入する。いいな~。どうやったらこんなふうに、うまく彼の気持ちが引き出せるんだろう。私なんか全然どうすればいいかなんて、わかんない。もっと恋愛上級者なら、一弥さんとの関係ももっと上手く築けていただろうに。あっ、でも上級者なら、そもそも彼と離婚なんてしなくても済んだのか。ハハッ。にしても、このヒロインにライバル視しているこの女性、なかなか手強いよな~。実際この男性の今の彼女だし、ヒロインは元妻だから、焦りや不安がすごいんだろうな~。ヒロインもこの彼女がいることで素直になれないし、ホント辛すぎる~。私はクッションを抱えながら、その動画を見ながら、すっかり感情移入してしまう。すると──。“ピンポーン”インターホンの音が鳴った。ん? 誰か来た? 荷物なんか頼んでたっけ。私は動画を止めて、インターホンのモニターを確認しに行く。すると、そこに映った人物を見て驚いてしまう。「え!? 一弥さん!?」またそこにこのタイミングで意外な人が映っていた。え、どうして!? 今誰かもう部屋にいるはず。なのに、どうして私のところに!?私は少し慌てながらも、息を
そのあと、彼のこの手がどうなるのかとドキドキしていると──。彼のスマホから電話が鳴った。その瞬間、そのドキドキの空間から現実にまた引き戻される。「すまない」一弥さんもその電話に気づき、私の手をスッと放してしまった。あっ……。スルッと彼が握っていた手が離れた瞬間、私は物足りなさを感じてしまう。そのまま彼が手を引いて部屋まで歩いて行くなんてことはありえないけど。それでも今の彼がどんなふうにこのあと接してくれるのか、少し知りたかったような気もした。「もしもし。……え? 今から? いや、もうこのあと仕事はないが」すると少し一弥さんは私から離れ電話の相手と話し始める。「……フッ。なんだよ、会いたいって」え……会いたい……?誰……なの……?彼がふわっと柔らかい表情で笑いながら口にしたその言葉に、私の胸はすぐに反応してズキズキと切なくなる。彼に『会いたい』だなんて平気で言える人……。そしてそんなふうに彼が戸惑いもなく受け入れる人。「俺の部屋? まぁいいけど。あぁ。うん。わかった。じゃあ部屋で待ってるから、このあと来てくれ」え……一弥さんの部屋……に、来るんだ……。私以外にこのマンションの部屋を知ってる人がいるんだ……。そんな気兼ねなく話せて部屋に呼べるほどの仲。もしかして……綾乃……? それとも違う女の人……?そうよね……。彼にプライベートでどんな女性がいたとしても、おかしくないわよね……。私は所詮ビジネスパートナーだけで、プライベートの彼の生活には決して入り込むとは出来ない……。さっきまであんなに近づけた気がしたのに、電話をしながら前を歩いていく一弥さんの背中を見つめていると、さっきまでの心まで遠くなっていくようで胸が痛む。出来ることなら、あの広い背中に今すぐ手を伸ばしたい。『まだ一緒にいたい』と、彼
何かを伝えようと、彼は自分の中で何かを考えているように見えた。そしてそのまま憂いを帯びた目で、私を見つめる。私はそんな切ない雰囲気の彼から、目が逸らせなくなる。すると、私の腕をギュッと彼が掴み、ゆっくり口を開く──。「──これからは……、ただ、俺に守らせてほしい。お前も、そのお腹の子供も……」私を見つめながら、ゆっくりと私に静かに伝える。「え……。それは、どういう……意味……?」私たちを守る……? 一弥さんが……?彼のその目が、表情が、その言葉が、一体どういう意味を持つのか……。私に何を伝えようとしているのか……。今までの彼と私の時間を思い返すと、余計にわからなくなる。だけど、見たこともない彼のその切羽詰まったような苦しそうな表情を見ると、明らかに今までの彼とは違っていて。それでいて、今の彼といると、心のどこかで少しずつ期待してしまっている自分もいる。気づかないフリをしていた自分の彼への気持ちも、もう自分自身こんなにも自覚している中で、こんなことを言われたら、どうしたって私は期待したくなってしまう……。今だって、私の腕をギュッと握りながら私を見つめ続ける彼に、私のこの胸はこんなにも高鳴っている。彼が次に口にする言葉を、私はドキドキしながら待ち続ける。「杏華──」私を見つめながら、彼は掴んでいた手を、今度は膝に置いていた私の手の上に、自分の手のひらをそっと重ね、少しずつ強く握り締めていく。その手のひらの熱さや握る強さに、彼が今言葉にしようとしている想いが伝わってきそうで、私のドキドキはもう──。そう思った瞬間。「お疲れ様でした。マンションに到着いたしました」運転手の崎山さんの声がスピーカー越しに車内に響いた──。その瞬間、お互いハッと我に返り、重なり合った手を崩す。「──あぁ。車が、着いたようだ……」「そ、そうね──」私たちは少し気まずい雰
「……?」 目の前に差し出された離婚届を見つめ、喉が張り付いたような声で問い返した。 「あなた……どういう意味なの?」 「綾乃から、全部聞いた」 彼の顔には、余計な表情は一切なかった。 あるのは、骨の髄まで染み込んだ冷酷さだけ。 「三年前、うちとお前の家に政略結婚の話があると知っていただろ。 お前は俺と結婚したかったから、彼女を追い出した。別れを強要し、海外へ行かせたんだ」 ――ドン、と。 頭の中が、真っ白になった。 「違う……」 声が震えながらも、私は必死に最後の光にすがる。 「一弥さん、信じて……! あの時は、彼女が自分で行きたいと言って……私は……」 「もういい
「わあ、すごく綺麗なお花!」 綾乃は、私の腕の中に抱えられた花束を、目を輝かせて見つめた。 私は反射的に花束を抱き寄せる。 「この花は……」 言い終える前に、すらりとした長い手が、私の腕の中から花束を奪い取った。 呆然と顔を上げると、そこには桐生一弥の、感情の揺らぎひとつない瞳があった。 彼は、私が心を込めて選んだ――純潔な愛を象徴する白いバラの花束を手にすると、そのまま自然な動作で振り返り、綾乃の前に差し出した。 「誕生日おめでとう、綾乃」 低い声だったが、突然静まり返った個室の中には、はっきりと響き渡った。 綾乃は驚きと喜びの入り混じった表情で花束を受け取り、顔を花びらに
【プロローグ】 初恋は実らないものだ、と人はよく口にする。 私はそれを信じず、初恋の人と結婚した。 結婚三周年記念日。 私は妊娠をした身で、ミシュランに引けを取らないほどのご馳走を並べ、彼の帰りを待っていた。 すると彼から一本のメッセージが届き、ある高級レストランの住所だけが記されていた。貸し切りだと。 ついに彼も気が回るようになったか、サプライズを用意してくれたのかと思った。 ドアを開けた先にあったのは、私の妹・綾乃の誕生日会だった。 その瞬間、私はすべてを悟った。 自分だけが幸せだと思い込んでいたこの結婚は、最初から最後まで私ひとりだけの独り舞台だった。 私はあの子の影
目を覚ました瞬間、強い戸惑いに包まれ、次いで記憶が断片的に一気に押し寄せてくる。 気付けば無意識のうちに私は下腹部をかばっており、鈍い痛みが走った。 そのとき、そばにいた一弥さんの姉の真琴さんが私が目を覚ましたことに気付き、慌てて駆け寄る。 真琴さんは私の手をぎゅっと握り締め、声を震わせながら言った。 「よかった……やっと目を覚ましたのね。お医者さんが言ってたの。急激な精神的ショックと、長期間の心身の抑圧が原因で、切迫流産の状態だって。今は安静が必要よ。……ねぇ、どうして妊娠していること私に言ってくれなかったの?」 「どうして、私は病院にいるの? どうして真琴さんがここにいるの?」







